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大阪地方裁判所 昭和30年(ワ)2383号 判決 1964年5月26日

原告 成瀬ユキヨ

被告 中川建設工業株式会社 外一名

主文

被告等は原告に対し連帯して金三五四万三、六〇〇円及びこれに対する被告中川建設工業株式会社は昭和三〇年八月一〇日から、被告陳阿讃は同年同月一一日から右支払済にいたるまで年五分の割合による各金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その一を原告の負担とし、その余を被告等の連帯負担とする。

この判決は原告において被告等に対し各金六〇万円の担保を供するときは主文第一項に限りその被告に対し仮に執行することができる。

被告等において各金六〇万円の担保を供するときはその被告は前項の仮執行を免れることができる。

事実

原告訴訟代理人は「被告等は原告に対し連帯して金四五六万八、六〇〇円及びこれに対する訴状送達の翌日から右支払済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として

一、原告は昭和二八年当時大阪市北区小松原町二一番地上に木造瓦葺二階建店舗一棟建坪一九坪、二階坪二〇坪の建物(以下原告建物と略す)を所有し、これに居住して一階の一部において化粧品店を、一階及び二階の各一部においてお好み焼屋をそれぞれ経営したものである。

二、被告陳阿讃は原告建物の西側に接して宅地二六坪五合を所有し、これに地下一階地上三階建のブロツク建物(以下本件建物と略す)の建築を企画して被告中川建設工業株式会社(以下被告会社と略す)をして右工事を請負わしめ、同会社は昭和二八年八月頃これに着工した。

三、しかして原告建物は店舗の櫛比せる大阪北の繁華街にあるので、このような場所において建築工事を施行するものは隣家に損害を与えないように万全の措置を講ずべき注意義務があるにも拘らず、被告会社は地下工事をなすにあたりこれを怠り極めて無暴にも原告建物の西側の壁に沿つて全然間隔を置かずして土地を掘り下げたため(民法第二三七条、第二三八条参照)原告建物の地盤は沈下し、その西側の基礎は殆ど全部毀れて没落し、柱は宙に浮き、前記工事の進行につれ、原告建物全体が西側に傾き倒潰寸前の危険な状態を現出するにいたつた。その間原告は被告等に対し前記工事に着手した当初より毎日のようにその実情を訴え工事の中止方を迫つたり、或は原告建物の補強工事を要求したりして損害発生の防止に全力を尽してきたが、被告等は口先の返事をするのみで一方的に工事を強行し、遂に原告建物をして前記の如く危険な状態にたちいたらしめたものである。

四、その結果原告は以下述べるように積極、消極にわたり合計金四五六万八、六〇〇円にのぼる損害を蒙つた。すなわち

(一)  金九八万八、六〇〇円(原告建物の修繕費)

原告は原告建物を復旧するための修繕費として訴外栗田工務店に対し金八三万八、六〇〇円、訴外西工務店に対し金一五万円以上合計金九八万八、六〇〇円を支出した。

(二)  金四八万円(飾窓等諸設備の破損による損害)

原告は金四八万円をもつて原告建物における飾窓その他の諸設備を購入したが、本件工事の結果破損或は汚損して全然使用に耐え得なくなつたため右同額の損害を蒙つた。

(三)  金一〇万円(盗難による損害)

本件工事のため原告建物の基礎が破損し、その箇所より何人かが屋内に侵入し、化粧品類(商品)を盗んだため原告は金一〇万円の損害を蒙つた。

(四)  金三〇万円(商品の破損等による損害)

本件工事のため原告建物の破損甚だしく雨洩りなどがしたため化粧品額(商品)がその商品価値を失つたことにより原告は金三〇万円の損害を蒙つた。

(五)  金二七〇万円(営業上の得べかりし利益の喪失)

原告は本件工事のため昭和二八年九月頃より翌二九年五月頃までの間化粧品店及びお好み焼屋の営業が不能となり、当時平均一ケ月少くとも金三〇万円の右営業上の純益を収めていたのを前記期間中これを喪失し、総計金二七〇万円の損害を蒙つた。

五、しかして原告の蒙つた右損害は被告会社の前記無暴なる工事に起因するものであるが、該工事は被告会社代表取締役であつた中川清の指揮監督のもとに行われたものであるから、それにより生じた損害について商法第二六一条第三項、第七八条第二項、民法第四四条第一項により被告会社は賠償の責任を負うべきであり、仮にそうでないとしても前記工事は被告会社の社員がなしたものであるから民法第七一五条第一項本文により被告会社は使用者として右損害を賠償すべき責任を負うべきである。

更に被告陳は前記工事を発注したものであるが、原告建物の基礎に沿つて全然間隔を置かずして土地を掘り下げるときは原告建物等に損害を与えることは火をみるよりも明らかであるというべきであるにも拘らず、かかる工事を必要とする注文をなし被告会社をして前記工事をなさしめ、よつて原告に前述のとおりの損害を蒙らしめたものであるから、被告陳は前記工事の注文につき過失があつたものというべきであり、かつまた被告陳は本件工事当初より原告の通告をうけて度々現場を検分し、原告建物が時々刻々被害を蒙りつつあることを承知しながら、被告会社に対しこれが防止のための指図を与えずして前記工事を強行せしめたものであるから、被告陳は指図につき過失ありたるものというべきであり、従つて被告陳は民法第七一六条但書により原告の蒙つた前記損害を賠償すべき責任がある。しかも被告等は共同して前記不法の工事により原告に損害を加えたものであるから原告に対し連帯してその賠償をなすべき責任があるものである。

六、仮に右主張が理由なしとしても被告会社は原告建物の西側の基礎に接着して前述のとおり地下工事をなし、原告建物の被害を顧みず該工事を続行したものであるから、右は民法第七一七条第一項にいう工作物の設置及び保存につき瑕疵ありたるものとして原告の蒙つた前記損害を賠償すべき責任があるといわねばならない。仮に被告会社が損害の発生を防止するに必要なる注意義務を尽したものとすれば被告陳は所有者として工作物の設置及び保存につき瑕疵あるため原告の蒙つた前記損害につき民法第七一七条第一項但書により賠償すべき責任を免れることができない。

七、よつて原告は被告等に対し連帯して金四五六万八、六〇〇円及びこれに対する訴状送達の翌日から右支払済にいたるまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴請求に及んだ。

と述べ、

被告の主張に対し

(一)  被告陳は本件建物の建築主及び所有者は訴外陳清海であつて被告陳ではない旨主張するが、陳清海とは被告陳の仮装名義に過ぎないか、また陳清海なる人物が他に実在するとしても同人は単なる名義人であつて、真実の建築主及び所有者は被告陳である。

(二)  被告陳は原告が原告建物を所有するにつきその敷地として訴外陳清海所有の宅地を侵犯している旨主張するが、原告は地主芦田利兵衛より原告建物の敷地として二二坪を賃借してきたもので、その範囲は昭和二一年以降現在まで確定不動のもので被告陳の主張する如き事情を未だかつて聞いたこともなく、被告陳の右主張は全く虚構のものである。

(三)  被告等は原告建物が基礎脆弱にして、かつ構造上も不安定であつた旨主張するところ、被告等主張のとおり原告建物が当初平屋建であつたものを二階建にした事実は争わないが、原告が二階建にしたのは当初の平屋建を増改築したのではなく基礎から新築したものであるから被告等指摘の如き欠陥は何等存在しない。

(四)  被告等は原告が本件工事後原告建物を訴外李坤川に譲渡したことにより原告の本件工事によつて蒙つた損害を補填された旨主張するが、原告は昭和二九年九月同訴外人より原告建物を売渡担保として該建物の修繕資金にあてるべく金五〇〇万円を借入れたところ、それを返済することができなかつたため、同訴外人より右担保権の行使をうけ原告は心ならずも右建物の所有権を喪失したものであつて、右は本件損害の補填をうけたことには到底ならないから被告等の右主張は失当である。

と述べた。

立証<省略>

被告会社訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決並びに仮執行免除の宣言を求め、答弁並びに抗弁として

一、原告が昭和二八年当時大阪市北区小松原町二一番地上に木造瓦葺二階建店舗一棟建坪一九坪、二階坪二〇坪の建物を所有し、これに居住して一階の一部において化粧品店を、一階及び二階の各一部においてお好み焼屋をそれぞれ経営していたこと及び被告陳が原告建物の西隣に宅地二六坪五合を所有し、これに地下一階地上三階建のブロツク建物の建築を企画して被告会社をして右工事を請負わしめ、同会社は昭和二八年八月頃これに着工したことは認めるが、その余の原告主張事実を争う。

二、原告建物は元来その基礎が甚だしく不完全なものであつたから仮に右建物に破損が生じたとしてもそれは原告建物自体の原因に基くものであつて被告等のなした本件工事とは何等因果関係がない。

三、仮に被告等のなした本件工事により原告建物に破損が生じたものとしても被告会社は本件工事の施行に際し万全の注意と最高の技術を用いたものであるから何等の過失は存しない。すなわち被告会社は本件工事の施行にあたり原告に対し再三にわたり原告建物の補強工事(ローソク工法)をなしたき旨申入れたるにも拘らず、原告は頑としてこれを拒絶し、そのため止むなく注文者たる被告陳は原告建物の西側の基礎より二尺五寸の間隔を置いて地下工事を施行するとともに右施行にあたり矢板、切梁腹起等も一般より優れた材料を使用し僅かづつ矢板を打ち下げたものであつて、原告建物に損害を与えぬように万全を期したのであるから被告会社は本件工事につき何等過失がないものといわねばならない。

四、仮にそうでないとしても、被告会社は原告主張の損害が発生したことをすべて争う。

特に(1) 原告は原告建物を復旧するにつき要した修繕費として金九八万八、六〇〇円を要求しているが、右は原告建物を原状に復するために要した費用のみでなく、三階建にしたための改造費を含むものであり、かつ三階建にするためには一、二階を三階建に耐え得るように当然補修せねばならない訳であるから、これら改造に要した費用と純然たる修繕費とを区別することは事実上不可能であつて原告主張の前記金額は本件事故に便乗するところの誇大請求である。(2) 原告は営業上の得べかりし利益の喪失として金二七〇万円を請求しているが、原告は従来の営業が不振であつたため原告建物を増改築してパチンコ店に転業するにつき休業したまでのものであつて、被告等のなした本件工事とは全く関係のないものであるのみならず、原告主張の月間の純益は全然根拠のない数字である。

五、仮にそうでないとしても原告はその後原告建物を第三者に有利に売却しているので、建物修繕費用の全部を既に回収しており、被告等に対しこれが損害賠償を請求することは原告において二重利得するものであつて失当である。

六、仮に以上の主張が理由なしとしても被告会社は前述のとおり本件工事の施行に際し、原告に対し再三にわたり原告建物の補強工事をなしたき旨申入れたるに拘らず、原告は頑としてこれを拒絶したものなるところ、都会地にあつて互に隣接した土地に建築工事を施行する場合は相互に辛棒し合い工事施行より生ずることあるべき損害を最小限に防ぐべき協力義務があるものというべきであつて、原告が妄りに被告会社の前記申入を拒絶しておきながら被告会社に対し自己のうけた全損害を賠償すべき旨要求することは条理上不当である。

と述べた。

立証<省略>

被告陳訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁並びに抗弁として

一、原告が昭和二八年当時大阪市北区小松原町二一番地上に木造瓦葺二階建店舗一棟建坪一九坪、二階坪二〇坪を所有し、これにおいて化粧品店及びお好み焼屋を経営していたことは認めるが、その余の原告主張事実を争う。

二、原告建物の西隣の土地は訴外陳清海(被告陳の長男)の所有するものであつて、その地積は三三坪五合六勺であり(昭和二八年八月六日分筆登記せるもの)、該地上のブロツク建物もまた同訴外人の建築、所有するところのものである。もつとも被告陳は同訴外人の親権者として同訴外人と被告会社との間における本件建物の建築請負契約の締結事務にあたつたことがあるが、右契約上の注文者は飽くまで同訴外人であるから本訴において原告が被告として相手取るべきものは被告陳ではなく、同訴外人であるべきである。

三、仮に原告建物に破損が生じたとしても被告会社主張の第二項のとおりそれは原告建物自体の原因に基くものであつて被告等のなした本件工事とは何等因果関係がない。

すなわち原告建物は昭和二一年一二月戦災地上に建設した木造亜鉛鋼板葺平屋建一棟をその後増築せるものであつて元来その地盤は脆弱であり、かつ戦災地上に建てた軽量の平屋建に二階面積を階下より大きくして増築したものであるから建物自体もまた不安定であつて、これらの欠陥が原因となり、偶々被告等のなした本件工事と時を同じくして破損するにいたつたものであり、本件工事と右破損との間に何等因果関係が存在しない。

四、仮に被告等のなした本件工事により原告建物に破損が生じたとしても被告会社主張の第三項のとおり(ただし原告建物の西側の基礎より三尺以上の間隔を置いて手掘りしたものである)であつて被告等に本件工事の施行につき何等の過失が存しない。

五、仮に被告会社が原告主張のとおり本件地下工事をなすにあたり原告建物の西側の基礎にそつて全然間隔を置かずして土地を掘り下げ、そのため原告建物に破損が生じたとしても次の事由により被告等に損害賠償の責任はない。すなわち訴外陳清海の所有地は前述のとおりその面積が三三坪五合六勺であるのに対し、本件建物の建坪は二二坪五合九勺であつて、被告等は本件工事の施行にあたり本件建物の周囲に総計一一坪程の土地を剰したにも拘らず、原告が独り原告建物の敷地として同訴外人の所有地内に境界線を越えて侵入しているため(間口において六寸九分、奥行において六間半の土地を侵入)自ら原告建物の破損を招いたものというべきであり、被告等が原告建物に対し直接加害行為をなした場合は格別のことながら、本件のように同訴外人の所有地内に被告等が地下工事をなすこと自体は正当なる権利の行使であつて第三者より何等の制肘をうけるべき筋合でなく、かかる正当なる権利行使にあたつてまで原告が自ら招いた損害を賠償すべき責任はないものといわねばならない。

六、仮にそうでないとしても被告会社主張の第四ないし第六項のとおり原告主張事実を争う。

と述べた。

立証<省略>

理由

原告が昭和二八年当時大阪市北区小松原町二一番地上に木造瓦葺二階建店舗一棟建坪一九坪、二階坪二〇坪の建物を所有し、これに居住して化粧品店及びお好み焼屋をそれぞれ経営していたことは各当事者間に争いがない。

しかして原告と被告等との間において成立に争いのない甲第五号証、原告と被告陳との間において成立に争いがなく、これにより原告と被告会社との間においても真正の成立を認める丙第一ないし第四号証、原告本人尋問の結果(第一、二回)により真正の成立を認める甲第七、一一号証及び原告建物の被害状況を撮影した写真であると認める検甲第一ないし四号証、原告と被告会社との間に現場写真であることに争いがなく、これにより原告と被告陳との間においてもこれを認める検乙第一、二号証、証人栗田成計、同岡田正義の各証言、証人山田友也、同上杉伊三郎の各証言の一部、原告本人尋問の結果(第一、二回)、被告陳阿讃本人尋問の結果(第一、二回)の一部並びに検証の結果を綜合すると、原告は昭和二一年頃より大阪北の繁華街にある大阪市北区小松原町二一番地(地主芦田利兵衛より賃借)上に義兄が建てたバラツク一棟を借受けてこれに居住してきたが、昭和二七年八月頃右バラツクを買受けて訴外栗田工務店に依頼しこれを取りこわして賃借地一杯に前記木造瓦葺二階建店舗一棟建坪一九坪、二階坪二〇坪の本建築物を新築したこと、被告陳の長男である訴外陳清海は原告建物の西側に大阪市北区小松原町二一番地の八宅地三三坪五合六勺(公簿面)を所有していたところ、被告陳は同訴外人名義で右宅地に地下一階、地上三階建のブロツク建物の建築を企画し、同訴外人の代理人として被告会社との間における右建築工事の注文等一切の交渉にあたり、被告会社は昭和二八年八月頃該工事に着手したこと、しかして被告会社は地下室築造のため地下約七尺を掘り下げたが、その際原告建物の西側の基礎に沿つて殆ど間隔を置かずして土地を掘り下げたため土砂の逃げや地下水の流出などにより原告建物の地盤が沈下し、そのため先づ原告方の水洗便所のマンホールが落ちたのをはじめとし、建物西側の基礎が陥没破壊され、壁が落ち、敷居が歪み、戸の開閉に支障をきたし屋根瓦が破損して雨水が屋内に流入し、店舗土間床コンクリートは割れ、化粧品陳列棚が破損し、建物の組木がゆるんで建物全体が漸次西側にねじれて傾くなどの甚大なる被害を生ずるにいたつたことが認められ、証人山田友也、同上杉伊三郎の証言、被告会社代表者及び被告陳阿讃の各本人尋問の結果(被告陳につき第一、二回)中右認定に反する部分はたやすく措信し難く、他にこれを覆すべき証拠はない。

そこで原告建物等に損傷を与えた被告会社の本件工事につき同被告の責に帰すべき事由があつたかどうかについて検討するに前段冒頭掲記の証拠と弁論の全趣旨を綜合すると被告会社は原告建物に接して地下工事を施行するのであるから建築の専門業者として当然原告建物に損傷を生ぜしめないように万全の措置を講ずべき注意義務があり、とりわけ原告建物の地盤は比較的軟弱である上建物自体も軽量の木造建物であるから、この点特に留意し工事施行中は絶えず原告建物の変化に注意を払い、万一原告建物に損傷を生ぜしめるが如き事態がみえれば直に該工事を中止するとか、或は施工方法を検討するなど臨機に適切なる措置を講ずべきであるにも拘らずこれを怠り叙上のとおり原告建物の西側の基礎に沿つて殆ど間隔を置かずして土地を掘り下げ、原告が自己の建物に損傷を生じつつあることを通告しているのに漫然該工事を続行したため遂に原告建物の地盤が沈下して前記損傷を与えたことが認められる。もつとも

被告会社は本件地下工事を施行するにあたり一応原告建物に損傷を生ぜしめないよう注意し、原告建物の西側の基礎に沿つた部分については手掘りし、地下三、四尺程度にいたつたとき木矢板を用いて土留するとともにその頃から後は原告建物の基礎より二、三尺の間隔を置いて掘り下げたのではないかと認められるが、右事実をもつて本件工事が当時の建築業者に当然期待し得べき万全の注意と最高の技術を悉く尽したものとは遽に解し難いのみならず、被告会社において土留のための木矢板を用いはじめたときには既に原告建物は可成りの損傷をうけつつあつて時機を失していたことが認められるから、被告会社の従業員の少くとも過失により本件工事の施行上原告建物等に損傷を与えたものというべく、被告会社は右従業員がその業務の執行につき原告に与えた損害を賠償すべき責任があるものといわねばならない。

次に被告陳の不法行為責任の有無につき検討するに原告は被告陳が本件工事の注文者であつて、被告会社の前記認定の不法行為に関し被告陳の注文または指図に過失があつたから被告陳においても原告が本件工事により蒙つた損害を賠償すべき責任があると主張し、これに対し被告陳は本件工事の注文者は訴外陳清海であつて、被告陳は単にその代理人として同訴外人と被告会社との間における本件請負契約の締結事務にあたつたのみであるから原告が被告陳を相手取り本件損害賠償の訴を提起することは失当である旨争うところ、本件工事の注文者は訴外陳清海であつて、被告陳はその代理人として右工事の注文など一切の交渉にあたつてきたものであることは既に認定したとおりである。しかしながら代理人としての行為が本人に効果を及ぼすのは法律行為の範疇に属するものに限られ、不法行為については代理人自身がその責任を負わねばならないのであるから、被告陳の主張する如く本件工事の注文者が訴外陳清海であつて被告陳はその代理人の立場にあつたとの一事をもつて原告が本件工事により蒙つた損害につき同被告がその損害を賠償すべき責任を免れることはできない。

そして民法第七一六条但書は注文者の不法行為責任を規定しているが、右条項は自己の加害行為について損害賠償責任を負うことを定めた同法第七〇九条の一般原則を注意的に規定したものに過ぎないのであるから、注文者が注文または指図に過失があつたため請負工事の施行にあたり第三者に損害を与えたとき自己の加害行為につき当然損害賠償の責任を負わねばならないのと同様に、注文者の代理人がその注文または指図に過失があつたため請負工事の施行にあたり第三者に損害を与えたときも右一般原則により代理人自身が自己の加害行為につき損害賠償の責任を負わねばならないことは疑問を差し挟む余地のないところであつて、この点原告は本訴において被告陳が本件工事の注文者であると主張しているが、必ずしも注文者たる法律上の地位に固執しているものでなくむしろ本件工事に関する注文または指図行為自体の過失責任を追求する趣旨であると解する。

以上の見解にたち被告陳に民法第七〇九条による不法行為責任があるかどうかにつき考察を進めるに、原告本人尋問の結果(第一、二回)によると原告は自己の建物に被害が現れはじめると即刻このことを被告会社の現場担当者のみならず被告陳に対しても通告し、被告陳は度々現場に臨み原告建物が損傷を受けつつある状況を検分しており、そのまま工事を続行するときは原告建物に甚大なる損傷を生じさせる虞れがあることを容易に知り得たにも拘らず、被告会社に対しこれが防止のための適切な指図を与えなかつたことが認められ、これに反する被告陳阿讃本人尋問の結果(第一、二回)は措信できない。しかして通常建築工事の施行は請負人が自己の裁量で施工方法を選択し、注文者はそこまで関与しないのであるが、本件の場合のように原告より被害の模様を通告され善処を求められているときは注文者側としても請負人の注意を喚起し、工事の施行方法を問い糺し、請負人をして損害防止のために必要なる万全の措置を講ずるよう指示すべきであるにも拘らず、被告陳は前記認定のとおり被告会社に対し適切なる指示をなした形跡がないから、少くとも適切なる指図をなさなかつたという点において指図に過失があつたものというべきであつて、このため原告が本件工事により蒙つた損害を賠償すべき責任がある。

被告陳は訴外陳清海所有の土地に自己の建築工事をなすことは権利の行使であつて、原告が同訴外人所有の土地に不法侵入して原告建物を建築したため自ら損傷を受けたもので、いわば自業自得ともいうべきであるから被告陳にその損害を賠償すべき責任がないと主張し、被告陳阿讃本人尋問の結果(第一、二回)中には原告が訴外陳清海所有の土地に不法侵入している旨の供述があるが、これは証人滝本勲の証言及び原告本人尋問の結果(第一、二回)並びにこれにより真正の成立を認める甲第八号証に対比し措信し難く、かつ訴外陳清海所有の土地に自己の建築工事をなすこと自体が正当な権利行使であつても、それに伴い第三者の権利を侵害し得ないことは多言を要しないところであるから被告陳の右主張も採用できない。

以上の次第で被告等は共同不法行為者として原告に対し連帯して同人が本件工事により蒙つた損害を賠償すべき義務がある。

そこで原告が本件工事により蒙つた損害額について検討するに原告と被告陳との間において成立に争いがなく、これにより原告と被告会社との間においても真正の成立を認める丙第四号証、証人栗田成計、同岡田正義の証言及び原告本人尋問の結果(第一、二回)、これらにより真正の成立を認める甲第六、九、一〇号証並びに弁論の全趣旨を綜合すると、(一)原告は建物を復旧するため訴外栗田工務店に対し金八三万八、六〇〇円、訴外西工務店に対し金四万五、〇〇〇円以上合計金八八万三、六〇〇円の修繕費を支出して同額の損害をうけたこと、(二)原告は化粧品陳列棚(飾窓)が破損したため金四八万円の損害をうけたこと、(三)原告は建物が破損し雨水が屋内に流入したりしたためネクタイ等商品が損傷し、少くとも金二〇万円程度の損害をうけたこと、(四)原告は建物が破損したため客足が減少し、当時一ケ月少くとも金三〇万円の営業上の純益を収めていたのにその純益が遅くとも昭和二八年一〇月より同年一一月にかけ二ケ月間はほぼ半減し、同年一二月及び翌二九年一月は一割から二割に激減し、遂に同年二月には建物を補修しなければそのまま営業を続け難くなつたのでこれを中止し同年三月頃より同年五月頃までの間にわたり建物の大修繕を行い、その間は営業上の収益が皆無であつたため、少くとも合計金一九八万円の営業上得べかりし利益を喪失したことがそれぞれ認められ、右認定に反する証人山田友也、同上杉伊三郎の証言、被告会社代表者及び被告陳阿讃の各本人尋問の結果(被告陳につき第一、二回)は措信し難く、他にこれを覆すべき証拠はない。ただし原告主張の商品の盗難による損害は本件工事による直接の損害と認め難いし仮に本件工事による損害とみるべきものとしても特別事情による損害というべきところ被告等においてその事情を予見することができたものと認めるに足る的確なる証拠もないからこの点に関する原告の主張は採用できない。

そうすると原告は被告等の不法行為により総合計金三五四万三六〇〇円の損害を蒙つたことが明らかである。

被告等は原告が本件被害を受けた後建物を第三者に有利に売却し建物修繕費の全部を回収しているから被告等に対しこれが損害賠償を請求するのは失当であると主張するところ、成立に争いがない甲第一二号証、証人鎌田杏鐺の証言、原告本人尋問の結果(第一、二回)によると原告は原告建物の修繕費等にあてるため訴外李坤川から右建物を担保として金五〇〇万円を借用したが、それを返済することができなかつたので右担保権を行使されてその所有権を喪失するにいたつたもので、右建物の明渡にあたり同訴外人より改めて金三〇〇万円の立退料を貰つたことが認められるが、右は原告の被告等に対する本件損害賠償請求権の消長に何等関係がないから被告等の右主張は採用できない。

なお被告等は本件工事の施行に際し原告に対しその建物の補強工事(ローソク工法)をしたい旨申入れたがこれを拒絶されたものであるところ、都会地において建築工事を施行する場合施行者が近隣に損傷を与えないよう注意すべきは勿論であるが、近隣の者もまた工事施行によつて生ずることあるべき損害を最小限度に防止するよう協力義務があるものというべく、原告が妄りに被告会社等の前記申入を拒絶しておきながら被告等に対し自己のうけた全損害を賠償すべき旨要求することは条理上不当であると主張するが第二回原告本人尋問の結果によると原告は補強工事を望んでいたことが明かであるのみならず、そもそも民法の相隣関係に関する規定によるも近隣の者が自己の建物の補強工事までを受忍すべき義務があるとは認め難く、しかも証人山田友也の証言によるも近隣の者がかかる補強工事の申入を拒絶することは他にも例のあることが明らかであるから、仮に被告等が原告に対し右補強工事の申入をなし原告においてそれを拒絶した事実があつたとしてもこれをもつて直ちに被告等主張のように本件損害賠償の責任を軽減されるべきものとは解し難いから被告等の右主張も採用できない。

そうすると被告等は原告に対し連帯して同人が本件工事により蒙つた損害の賠償として金三五四万三六〇〇円及びこれに対する訴状送達の翌日であることが記録上明らかである被告会社は昭和三〇年八月一〇日以降、被告陳阿讃は同年同月一一日以降右支払済にいたるまでそれぞれ民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるから、原告の本訴請求は右限度において正当としてこれを認容すべく、その余の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条、第九三条、仮執行の宣言及び仮執行免除の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 亀井左取 高山健三 三宅純一)

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